セイビング キャピタリズム

GWの読書として読み始めたら、これまたすごくおもしろい。

セイヴィング キャピタリズム

セイヴィング キャピタリズム


いきなり序章で

本章は、資本主義を「資本家」の暴虐から護れと主張することをめざしているが、その場合の「資本家」とは、既得権者としての資本家を指している。 彼らと困窮した失業労働者の意外な同盟は、企業倒産と解雇という瓦解の山のなかにおいてとりわけ強力となる。 不況の時期には、資本家たちは自由市場が作り出す機会よりも、むしろ競争のコストに目を向けがちである。 また失業労働者は、多くの者たちも同様の境遇にあって、同じような心配にさらされていることに気付くから、団結するのは容易である。 そして資本家たちは、困窮者たちのためだという口実と政治組織とを利用して、自分たちに都合のよい政治アジェンダを策定する。

とある。 なんだか今の日本に似ているような気が...。


「セイビング キャピタリズム」は、いかに資本主義や金融市場や金融イノベーションがおカネを持たない人々を豊かにするか、そして、既得権者によって市場の機能が奪われるか、を説明する。 ちゃんと働けばとてもパワフルに人々を豊かにするが、デリケートな仕組みであって、必然として資本主義や金融市場ができたわけではなく、結構偶然に依存していたことがよーくわかった。


ところで、渡辺千賀さんのブログのエントリー「国や組織はどういう時に良くなるか」に

「国というのは、思いがけなくどこまでも悪くなっていけるものなのだ」

「ミドルクラスは誕生するものではなく政府が政策的に誕生させるものである」とクルーグマンも書いている。政治がぼろぼろだと、一部の企業や個人がどれだけ成功しても、それが全体のパイを増やすことにつながらず、貧富の差を増大するだけ。また、公平なルールでビジネスをして成功できるインフラ(規制とか規制緩和とかいろいろ)を政府が整えないと、あこぎな方法で成功するのが当たり前になり、社会が腐敗する。

とあるが、資本主義・自由な市場とミドルクラスと豊かな社会は密接に関係している。
健全な成長を望むミドルクラスが政治的に力を持ち市場を整備し続け、新しいモノやサービスを生み出そうとする人におカネが流れてそれが実際に生み出されてこそ多くの人々が豊かさを享受できるだよなあ、きっと。


政府の財政赤字が巨額なのでヘマをやらかすと本当にとんでもなく悪くなりかねないだよなあ。