ユーロの行方 (続:宝島5月号(no.658)の藤巻さん)

藤巻さん 「ユーロは30年後も存在しているかどうか疑問に思う」

このコメントから、ハタと気がつきました。

藤巻さんが視野に入れている時間レンジは30年以上ではないか、50年とか100年といった歴史的レンジで眺めつつ今を考えるのではないか、と。

私は経済の大きなうねりをそこまで長期で意識していませんでした。

また、現在・現時点を基準にすると各論の各論で千差万別で右往左往する元ですが、藤巻さんの場合は、

完全に効率的な市場と合理的期待に基づいて動く仮想的な経済のイメージを基準におき、現在・現時点を分析する(例えば、何が障害になり実体経済にどういう圧力や歪が生じるか、その結果、金利や価格がどう変化するか)
のではないか、と。

欧州が通貨統合したという事実から来る経済的合理的帰結は

  • 人やモノやおカネの移動を自由にする
  • 政治的に統合する、つまり
    • 何を正しいとみなすかという判断(立法)を欧州で統合する
    • 正しいとみなされる範囲での、おカネの配分を欧州で統合する

つまり、欧州合衆国(のような国)ができなければならない。

しかし、現実には人々は国民国家の枠にしばらるから人というリソースはそんなに自由に動けない。また、A国は所得水準が低いからB国で集めた税金をA国にばらまいで公共事業するというわけにもいくまい。つまり、単一の金融政策の痛みを緩和するメカニズムが働かず、どこかにたまるかも知れない。その上景気が悪くなると不満もたまる。そしてある限界に達すると...。

国民国家(人々)がその権力(大小の既得権)をそう簡単に手放すだろうか。手放さないとしれば、ユーロはどうかすると負担が重くなるシステムかも知れません。

長−−−−いレンジでの政治要因の予測は困難、ということで藤巻さんはユーロで長期の勝負をするのを避けているのではないだろうか、と思います。

では、キントルバーガーの本 isbn:4000227289 isbn:4000227297 を読むとしますか。近所の図書館にあるかな。