株式投資はゼロサムか・不労所得か?

梅屋敷商店街のランダム・ウォーカーblogにて、「株式投資はゼロサムゲームか?不労所得か?」というテーマで真剣な議論がなされていました。 フムフムとうなづきつつ私なりに基本に立ち戻って考えてみました。

そもそも株式会社が生まれるときには、

  • 志とアイデアと情熱を持った起業家がいて、
  • 企業家だけでは資金が不足していて、
  • 志とアイデアと情熱に納得してすってもいいという資金を提供する投資家がいて、

起業家が会社の所有権の一部を株式の形で売ることで資金を得て、事業がスタートする。だから、株価(この時点では未上場だから、投資額/株式数)は事業が稼ぎ出すであろう未来のおカネの現在価値。この時点では未来のおカネは?だから株価は安い。順調に事業が成長していくと未来のおカネがだんだんと確実になってくるので株価は高くなっていく。

事業が稼ぎ出すお金は誰が支払っているか? それはモノやサービスを購入する顧客であって、顧客が買う価値があると判断するから売上が上がり、売上よりもコストが小さければ利益になる。こう考えると株価の上昇は未来の顧客の支払いや未来のコストダウンからきているといえる。

志とアイデアと情熱に賭けた投資家も、起業家も、現金が必要になることもある。そういう時には会社の所有権(株式)を売ればいい。この際、売買を効率よくやるために証券取引所がある。

所有権の売買の際に納得のいく価格がつかないと、投資からExitしたい投資家もリタイアしたくなった起業家も困ってしまう。そうなると、志とアイデアと情熱のある人と、おカネがあってあわよくば増やしたい人とを結びつけて、事業がスタートして、それまでに無かった価値有るモノやサービスが社会に供給され人々が豊かになる、というハッピーなストーリーが成り立たない。 最初の投資家や起業家から株を買った人も、いずれ現金化する必要があり、納得のいく売値がついてこそ、安心して株を買える。納得のいく株価形成のためには流動性が必要で、そのためには投機の参加者も必要で、株式投資は一見ギャンブルのように見えるかもしれない。

一族で 代々家業を続け資本を蓄積するという江戸時代以前のスタイルもあるが、経済成長はすごくゆっくりとしたペースになる。一族の長がそのビジネスに不向きなこともあろう。こういう意味で、株式会社による経営と所有の分離と、納得のいく価格がつく証券取引所の存在は社会を豊かにする上ですごく重要だ。

いま僕達が上場会社の株式を買う際、起業家の志とアイデアと情熱に賭けるという感覚は消えてしまっているが、株を買うことは今の経営陣の志とアイデアと情熱に賭けて資金の出し手になることは確かだ。地球上の誰かにモノやサービスを供給するための有形資産や無形資産のおカネの出し手になることだ。そしてその有形無形の資産が生み出すモノやサービスを顧客が価値を認めて購入することで生み出される利益がキャピタルゲインの原動力になっている。

こういう価値を生み出す資産に(無駄使いして欲しくないがゼロになることも覚悟して)おカネをだしているんだから、配当とかキャピタルゲインでリターンを得ても決してバチあたりじゃない。 リターンが無いならば誰もおカネを出さないからモノやサービスを生む各種の資産は存在せず、貧しいままになる。だから、株式投資は決してゼロサムゲームなんかじゃない。だから堂々と儲けて税金を払えばいい、と思う。損をするときもあるけど。

株式会社って、豊かなモノやサービスを享受するために、すごーく重要な仕組みですね。
この仕組みがなかったら今頃は江戸時代よりもちょっぴりリッチな生活かもしれない。