量的緩和嫌い

数日前の日経コラム「十字路」に中前忠氏が「超金融緩和政策の罪」というコラムを書いておられる。

超金融緩和政策はゼロ成長への途(みち)である。ゼロ金利を維持するための量的緩和政策は過剰設備の廃棄を遅らせ、供給過剰を放置することによって、経済の非効率化とデフレ化を招くからである。

逆じゃないか...?、デフレになってデフレ期待が定着しちゃったからデフレ期待の定着とともにゼロ金利となる状況に至ったのではないか?

さらに矛先は米国に向かい、
米国の量的緩和政策 → ドル・キャリー・トレード → 投機資金がアジアの株式や債券に向かう → アジア各国は為替介入で外貨準備増&国内通貨増 → 資産インフレの加速
この状況で米国の赤字減少 & アジア諸国の黒字減少が起きると、ドル安反転 → アジア通貨急落 → 資金流出 → 金融が一気にタイト化する
と批判的。

90年代後半のアジア通貨危機では、経常赤字をドル建借り入れでファイナンスしたから通貨安で金融危機となったが、今回は黒字基調で外貨準備もある。外国からの株式や不動産や工場等への投資ならば自国通貨安でも問題は起きない。通貨安になれば黒字が増えるほうに作用するから、金融がタイトになって金融危機になるだろうか?

アジア各国が為替介入で資産インフレならば、日本も為替介入をデフレ期待(現金保有願望)脱却の手段に使えるではないか?

氏のロジックには違和感を感じるなあ。


ミクロ的には低生産性の産業・会社は退出しリソースを開放・再配置しなきゃいけないが、人々がデフレで守銭奴的に貨幣を愛しているときに高金利で精算してもリソースは放置されるだけではないか。 貨幣から消費へ需要が高まることでリソースが高く買われることで再配置される経路がメインストリートじゃないのかなあ。