「経済政策を売り歩く人々」by ポール・クルーグマン

経済政策を売り歩く人々―エコノミストのセンスとナンセンス (ちくま学芸文庫)

経済政策を売り歩く人々―エコノミストのセンスとナンセンス (ちくま学芸文庫)

ケインズ以降のアメリカにおける経済学の主流となる考え方の変遷と、一見経済学ふうに見えるがトンでもない主張をする(決して経済学を理解していない)グループが政権に入り込みデタラメな経済政策が実行されることへの批判を書いた本。


日本の「識者」や「エコノミスト」もけっこう怪しいが、彼らは政策を実現することよりもメディアに出て稼ぐという自分のビジネスモデル追求が主なので罪は軽いかも。 しかし、人々がまっとうな知識を身につけるのを妨げるという罪はある。 まあ、人々が知らなさすぎるから彼らが跋扈できるとも言えるが。 散々惑わされてきた私は辛辣なのだ。


さて本の内容に戻る。
クルーグマンによるケインズの不況(デフレ)の説明が簡潔でよかった。
不況とは、

何らかの理由で、各家計も各企業もこれまでより少しばかり多くの現金を手元に止めておこうとしたとする。ここでは深く立ち入らないが、人々がより収益の高い資産ではなく現金や換金の簡単な預金を保有するのにはいくつかの理由がある。ここで重要なのは、時として人々は少し前に比べいく分余慶に現金を保有しようとすることがあるということである。ケインズはこれを特に、企業家が自身を喪失し、将来の計画を危険だと考え、現金で保有してしまう状態であるとしたが、今日ではこれに、将来の職に不安をもち、高価な商品の購入を差し控えている家計の状態を付け加えてもいいだろう。いずれにしても個々の企業は家計が支出をへらし、現金保有を増やそうとした結果、収入が支出を上回ってしまった状態を指している。

この状況では

しかしケインズが指摘したように、経済全体の貨幣量は決まっているために、個々の経済主体で成り立つことが経済全体では成り立たなくなってしまうのである。ある個人は支出を削減することで現金保有を増加させることができるが、それは他人の現金保有を減らすことでのみ可能となる。すべての人が現金保有を増加させることができないことは明らかである。それでもすべての人が現金保有を同時に増加させようとしたらどうなるであろうか。
その答えは、支出と共に所得も減少するということである。
(中略)
もし現金保有を増加させ続けるならば、更に支出を削減しようとするが、所得は減少し、現金を増加させられないまま、この過程が続く。経済全体をみると、企業も家計も現金保有を増やそうとするむなしい努力の結果、工場は閉鎖され、労働者は解雇され、商店は閑散としてしまうのである。そしてこの過程は、所得が減少し、その結果、現金需要が供給と等しくなるまで減少することによって初めて修了する。

これに対する解決策は

最も明白は第一の解決策は、支出を削ることなく、現金保有を増やすことができるようにすることである。こうすれば、支出と所得の下方スパイラルに陥ることが避けられる。一番簡単なのは貨幣を増発して流通させることである。

貨幣を増発し人々の現金需要を満たしてしまえば人々はもはや支出を削る必要性が無くなり、所得の減少も止まる。

このように通常、不況に対するケインズ経済学の基本的な答えは金融緩和である。しかし、ケインズは特に不況が手に負えなくなり恐慌ともなれば、この解決策では十分とはいえないと考えていた。すなわち、ひとたび経済が恐慌状態に陥り、家計や特に企業が手元資金んのいかんによらず支出を抑制するときは、金融緩和策は単に彼らの現金保有を増加させるだけであるということになる。(流動性の罠

流動性の罠に対するケインズ経済学の対処策は、民間ではなく政府のみに可能な「支出」の拡大ということである。(中略)これにより支出の抑制と所得の低下との間の悪循環を断ち切り、「呼び水効果」により、経済活動を再び活性化することができる。

このようにケインジアンの不況に対する見方がコンパクトにまとめられていて分かりやすい。


バブル崩壊後の日本では、バブル崩壊でバランスシートが痛んだ企業や家計は借金の返済・貯蓄に励み、人々はリスク資産価格の下落を見て現金保有に走り、所得の減少で不安を感じる企業・家計はより貯蓄に励む。 現金をより多く貯めようと努力することが不況の原因ならば、

  • リスク資産価格が上昇すればよい、人々はリスク資産の保有で貯蓄できるから、現金を溜め込まなくなる
  • 外国通貨や外国資産で貯蓄すればよい、為替レートの経路で輸出が伸び、所得が増える(仕事も増える)

というのが解決策といえよう。