競争の作法

昨年の日経のエコノミストが選ぶビジネス書ランキングの上位に入った本。どこが評価されたのだろうか?、という好奇心で読み始めた。


競争の作法 いかに働き、投資するか (ちくま新書)

競争の作法 いかに働き、投資するか (ちくま新書)


著者の斉藤教授の見解・気持ちに私も大いに共感するところは多いが、幾つかの箇所については私とは見方がずいぶん違う。


「戦後最長の景気回復」
斎藤教授は

このようにみてくると、「戦後最長の景気回復」がもたらした豊かさが、はたして実のあるものであって、日本経済で活動する人々に幸福をもたらしたのかどうか疑わしくなってくる。同時に、そもそも手にしてないものを失ったと騒ぎ立てても、(略)

とのことだが、「水面下の深いところからやっと水面近くまで浮上し、もう少しでやっと雇用や賃金で一息つけると希望が持てるところまできところで、元の木阿弥になってしまった」、「大きな失望感が残った」といったところが私の感覚。 民間企業の給与所得者は仲間が職を失うのを見ながらずっと耐え続けていたから。


買い叩かれる日本、叩き売りする日本

なんのことはない。銀座、表参道、青山が、海外勢によって安値で買い叩かれただけであった。

安値で買い叩かれるのがいやなら売らなきゃいいし、安値と思うならば買えばいい。売り手は、(1) 売った方が得と判断した、あるいは、(2) 流動性が必要だったから売ったのであろう。 特に2002年、2003年は金融システムがヤバく流動性が切実な問題だったから、国内のリスク資産を売り、海外の証券を売り資金を国内に戻していたのでは?。資金の還流に伴う円高を吸収するためにも為替介入が行われたと理解しているのだが。


「目に見える円安」と「目に見えない円安」

「目に見えない円安」とは日本製と米国製の価格動向の違いからくる「円安」効果である。

円が十分に安くならずまだ円高状態だから名目物価・名目賃金が低迷あるいは下落したに過ぎないのでは?

日本の輸出企業の国際競争力の強さは、卓越した商品性や性能ではなく、二つの「円安」に後押しされた圧倒的な価格競争力によってもたらされた。
(中略)せっかく精魂を込めて作ったモノを安値で海外にたたき売っていたのに等しい。

日本の輸出企業が「たたき売っていた」のではなく、イノベーションのジレンマ状態で日本流に頑張っても付加価値をつけづらく、買い手が、市場がその価格をつけたのではないか。

二つの「円安」は、輸出品のたたき売りのコストを日本経済にもたらしただけではない。日本経済は、海外の原材料や製品を高値で輸入せざるをえないというコストも支払っていた。安値で海外にうって、高値で海外から買っていて、日本経済は豊かになるわけはなかった。

私が思うには、そもそも実力が低下したのだから豊かにはなれるハズもなく、実力以上に円が強いから雇用問題やデフレに苦しむものではないだろうか。
実質為替レート = 円ドルレート * 米国製のドル建て価格 / 日本製の円建て価格
で議論すると一見正しいように見えるが、実質為替レートは適切な指標だろうか?。日本居住者が経常収支以上に外貨建て資産を取得しようとすれば円安圧力となり輸出を後押しし,外貨建て資産を手放そうとすれば円高圧力となり輸出を困難とする。デフレ期待時すなわち円の貨幣価値上昇期待時には人々は円を保有したがるゆえ為替レートは実力以上の円高傾向を持ち、より一層のデフレすなわち名目価格の下落「目に見えない円安」が発生するのではないだろうか?。


資産バブル
斉藤教授は「戦後最長の景気回復」において「なぜ、本来あってはならない資産価格バブル生じたのか」と書かれているが、リスク資産インフレは生じたかもしれないが、あれが「バブル」だっただろうか?。リスクテイカーたちが景気回復による価格上昇を目論んで早めに買っただけで、バブルに特有な社会の陶酔は無かったと思うが。


デフレ
斉藤教授はマイルドなデフレを無害なものととらえているようだが、私にはマイルドなデフレでも経済成長に有害に見える。貨幣価値の上昇期には資産価格には下落圧力がかかる。株価は低迷、IPOも期待できない。そういうexit困難な時には優れたアイデアを持つ若者がいてもベンチャー資金は集まりにくい。 既存企業でも、リスクをとり投資して事業を拡大するよりもキャッシュを溜め込むほうに傾きがちになる。かつての日本企業は不動産価格の値上がりや含み益で失敗をカバーできたと思う。今は失敗をカバーしづらいので新しいチャレンジを避けたがる。その結果が経済成長の差として積みあがり、米国の家計消費にくらべ日本の家計消費がジリ貧になっていったのではないだろうか。


斉藤教授は、日本製品の価格競争力のために一部の労働者を解雇し低賃金労働に置き換えたものの、結局、円が強くなり労働コストはほとんど減少しなかった、こんなことならば労使が合意し賃金を下げればよかった、と書く。 美しいと思う。しかし、それはほとんど困難であろう。 人間は利己的なものだ。 合意が成立するまでにどれほど時間がかかることか。 だから円が安くなればいい。
円安で実質的に労働コストが下落し景気は回復しつつあったにも関わらず、斉藤教授は「円安で稼いだ金を生産現場につぎ込む無駄な投資をした」と批判的である。 また、リスク資産価格上昇による資産効果で企業・家計のマインドや行動の変化が期待できそうだったところを、「バブル」と批判的である。 貯蓄を減らし消費を増やせば景気は良くなるだろう。 しかし、デフレで貨幣価値の上昇期待や自分の失業懸念があるときには人々はひたすら貯蓄する。外国がインフレ気味・日本がデフレ気味ならば名目為替レートは円高に振れる。為替差損を食らいたくないから人々は円で貯蓄をしたがり、結果、円は更に強くなり、デフレ圧力となり景気にマイナスに作用する。
不景気で収入が減る・職が無いゆえ、政治(政府)が需要を増やすべく国債を発行し家計部門の金融資産蓄積を手助けした(貯蓄可能な収入を得られるよう協力した)といえよう。その結果、莫大な赤字が積みあがり、財政破綻を引き起こし、インフレで赤字を解消することになれば、家計部門の金融資産こそが「小豆御殿」だったということになるのではないだろうか。


ところで、この本を評価したエコノミスト諸氏はどの部分を評価したのだろうか...。