人生のやり直しに寛容な社会の日本経済に対する意義

米国在住のこのかたのブログとトラックバックとコメントを興味深く読みました。
http://satoshi.blogs.com/life/2007/09/post-2.html
社会に流動性(とそれを支える市場メカニズム)を持たせることで社会を安定させる米国流と、人間が大きく動かないことで既得権をベースに社会を安定させる日本流と、どちらが望ましいと考えるかは人により様々のようです。


以下は私のたわごと。例によって注意して読んでください。
米国流のほうが更に経済成長するためのフロンティアを切り開くのに向いているだろう、日本流はキャッチアップ経済の運営に向いているだろうが転換期にはすくんでエンコしちゃってつらいだろう、と思う私。
莫大な政府の累積財政赤字さえなければ 「日本人が好きなほうを選べばいいじゃーん、成長を志向するのも良し、安定を志向するのも良し」 と思いますが、
財政赤字が発散しとてもヤバイこと*1を避けるため経済成長を高めに誘導し累積赤字を相対的に軽くする政策が必須とするならば、成長をプッシュする政策の一環ととして「人生のやり直しに寛容な社会」と「人間の流動性を高め様々な才能を適材適所に効率的に再配置」することが成長に有効だろうなあ。 ... 既得権もあるから困難だろうなあ、でもそうしたほうが絶対にいいだろうなあ、たぶん。

*1:政府が赤字の利払いに窮しMoney Printing政策に追い込まれハイパーインフレになること