2007年11月8日 日経朝刊 マーケット総合面のコラム 大機小機 「貯蓄から投資へ」

当日の朝あわただしく目を通した際にすごく違和感を感じ、その後気になって仕方がなく、今日もう一度読み直しました。以下は素人のたわごとです。


違和感その1

かつてじはお金のことは専門家に任せて仕事に専念できる方がいい社会だと考えられていたことも事実だ。

「かつて」は政府が資本が乏しい日本で国民のお金をどこに投資すれば効率よく経済成長できるかを考え、
(1) お金の流れを仕切りまくっていた(産業界は通産省、銀行・証券は大蔵省)、
(2) 「かつて」は日本はいわばEmerging経済だったので適切な政策をとればすごく成長できた、
国民には選択肢がほとんど無く、専門家に任せるとうまくいくように見えたのでは。かつては銀行の運用がうまかったから預金金利が高かったのだろうか、そうではなく資金需要が多かったから、将来のインフレを織り込んで長期金利が高く定期預金金利も高かった、日銀がインフレを警戒し政策金利を今よりも高い水準に置いたので普通預金金利も高かったのでは。


違和感その2

預金とは何だろうか。利回りは低いが元本保証つきの投資信託である。銀行は腕を競って、この安全で有利な基礎商品を提供する義務がある。

銀行のバランスシートの左側に、日銀当座預金国債等の債券、短期・中期・長期の貸し出し、株式があり、右側に預金が位置することから、預金は投資信託に似ているように見えるかもしれない。私の怪しげな理解では、銀行の利益のメカニズムは、
(1) 低金利の短期の資金を調達し、より高金利の長期で貸す
(2) 情報をクリエイトする能力で、情報力に劣る資金をより低金利で調達しより高金利貸し出す
ですが、(1)の長短の金利差スプレッドは日銀と市場で決まりリターンを追及しすぎると流動性で破綻する(預金引き出しが集中すると現金を払えなくなる) ので、腕を競ってもある安全であるためにはそんなに「有利」にはなれないハズ。ハイリターンを追い失敗したら預金保険機構にツケをまわすモラルハザードを利用するならば別かもしれない。(2)の努力の結果市場の競争でスプレッド低下で預金金利上昇という結果はあるかもしれないが、これは銀行が株主のために努力した結果であり、預金者のための努力ではない。こんなふうに私は思うのです。


違和感その3

恒久化した低金利政策によっても、預金は基礎的投資信託の機能を失っている。銀行はもとより、政府・日銀や有識者がやるべきは、信じて託するに足る預金の機能を回復させることではないか。

預金を元本保証の投資信託と考え「機能を回復させろ」というのは不自然だなあ。市場ベースで経済を捉えようとする私が上の主張を合理的に解釈すると、銀行と政府と日銀は金利を上げろといっているように聞こえます。長期金利が上がるためには、(私の理解では)資金需要が強くなるかインフレ懸念が強くならなくちゃいけない。不健全な長期金利上昇を引き起こすのは政府と日銀がその気になれば容易だが、それは国民に優しくない。健全な長期金利上昇は景気回復による資金需要増に導かれ、その暁にはインフレ防止のために政策金利が上昇し普通預金金利も上昇する。だから資金需要不足の日本で政府・日銀のやるべきことは、アニマルスピリットを元気付ける政策と余剰資金を資金需要のある国に流す政策。それらは「元本保障不要」の資金がマズ必要で、その次のフェーズで預金金利が上昇するのではないだろうか。


このコラムの著者は計画経済的政策を主張している、と解釈するとすっきり。 自由主義経済を主張する日経のコラムに計画経済的主張が載ったので私は奇妙な違和感を感じた訳です、きっと。