「改革の欧州に何を学ぶか」

藤巻さんの推薦図書?のひとつです。 99年の本ですが、渡部さんのロジカルなViewと現在の状況とを比較すると、ロジカルな考えかたのパワフルさに感動します。 もっと早く読めばよかったと後悔しますが、当時のレベルでは読んでもたぶん理解できなかっただろうとも思います。



以下は、特に興味のある箇所の引用と、私のたわごとです。


グローバル化とは
単一にして巨大な市場の出現と自由競争原理の貫徹。 米国流の制度の普及が含意。
市場統合が進んだ結果

  • グローバル市場内では価格が同一水準に収斂する傾向がある。 商品(モノ)市場のみならず、金融(カネ)市場や労働(ヒト)市場でも同様。 それぞれの市場が共通のルールで一つの世界市場として統合されれば、企業や個人が相互に競争するようになる。 そのけっか、モノの価格(物価)、ヒトの価格(賃金)、カネの価格(金利)がおおむね同一水準に向かい平準化する。 労働移動は完全に自由ではないので国別賃金格差はある程度残るが、国別の賃金格差ではなく、同一国内での職種別能力別の賃金格差が大きくなる傾向がある。
  • 市場の拡大の結果、企業の適正規模が大きくなる。
  • 企業経営に関わるステイクホールダーが広範かつ多様になる。 英米流に株主利益だけ追求するのは行き過ぎ、日本企業のように企業内部者の利益のみ追求するのも偏狭。

世界共通市場のもとで新しい分業体制を生み出す。 そこでは、国別・地域別に比較優位の構造が決まる。 グローバル化に伴う新たな比較優位に基づいた国際分業体制が顕著になる。
労働や資本など生産要素の移動により、国別・地域別の賦存度はある程度平準化されるが、マクロ経済全体の平準化が世界的スケールで完成するわけではない。 知識集約度の高い先進国では、知識集約産業が発展し頭脳労働者に対し高い賃金が支払われる。 労働力が豊富な新興国では、労働集約産業が発展し単純労働者の賃金も上昇する。 先進国の単純労働者の賃金は知識労働者に比較して相対的に低下し、新興国の労働集約型産業の労働者の賃金に近づく。 ミクロ的に同種の技能を持つ動労者の賃金や同一商品価格が平準化する傾向が見られるが、同一国内での比較優位産業と劣位産業の間の賃金格差はむしろ拡大するのである。
18世紀末以降1980年代前半までのおよそ100年間は、分業よりも大規模資本による垂直統合の時代であった。 早期に資本主義が定着した英国では、資本家と労働者の対立で大規模一貫生産の活動が阻害された。 一方、後発資本主義国の日本やドイツでは企業経営者・従業員・政府の関係が密接であった。反面、消費者・資本家の存在は軽視され市場経済の定着が遅れた。
たわごと 今、日本のメディアが騒いでいることを、99年にここまで見通していた渡部さんのLogicalなViewに感動!。


通貨統合の経済論理
下記の3つを同時に追求できない。

  • 資本移動の自由
  • 為替相場の安定
  • 各国の金融政策の独自性

欧州は、市場統合が進んだ結果、価格が平準化すると、為替変動は価格体系を擾乱し資源配分上の歪を生むため、為替相場の安定や通貨統合を求める声が大きくなる。 そこで、金融政策の独自性を放棄した。 資本移動が活発化した現代の開放経済では、金融政策で金利引き上げると通貨が切り上がり、短期的には内外の価格差が生じて輸出減・輸入増でGDPにマイナスの影響を与えるが、長期的には、国内物価が低下して内外価格差の効果は帳消しになり、金融政策の輸出入への効果は減る。 だから、市場が統合されたところでは独自の金融政策はあまり意味をもたない。 ゆえに、欧州では独自の金融政策を放棄し、各国の中央銀行が政府の負債を引き受けることもできなくなるので、赤字をともなった財政政策もできなくなる。
たわごと 日本の場合、巨額な財政赤字を抱えるが故に日本固有の金融政策が必要で、グローバル経済で資本移動を制限するのは不可能だから、為替は固定できないだろう。 通貨統合(アジア共通通貨)も困難といえる。


97年、98年の経済危機
事業会社の銀行離れと同時に金融資本・業務のグローバル化が進んだ。 その結果、投資家・借り手・金融仲介業者の三者がハイリスク・ハイリターンに走るようになった。 ハイリスク・ハイリターン指向の資金がアジア新興国に入り、不動産や株式投資に向かいバブルが発生するとともに、過剰な生産能力を生み出した。 過剰な生産能力は輸出価格の値崩れを起こし経済は破綻した。 その結果、固定的為替レート維持が困難になり、為替危機と銀行危機が一気におきた。
欧米の銀行のアジアの銀行へのドル建て融資を、アジアの銀行が自国通貨に転換し、国内企業に融資し、その資金で長期の固定資産投資を行った。
過剰生産による実体経済の不調 → 外銀が融資の引き上げ → 国内銀行のドル買い自国通貨売り → 政府・中央銀行が為替レート維持に努めるものの外貨準備の枯渇 → 自国通貨の下落 → 国内銀行のドル建て負債の重荷 → 銀行危機 → 信用縮小・信用危機
国際金融資本市場がリスクを吸収しきれなくなりパニックを起こし、擾乱的資本流出が発生したこともアジア危機の有力な原因の一つ。

危機後、アジア諸国内需よりも輸出に力を入れる → 先進国からアジア諸国に購買力が移転 → 先進国にはデフレ圧力がかかる。
石油ショック時に、購買力が産油国に移転したのと同じ。 石油ショック時はまず産油国が銀行預金や国債投資として先進諸国に資金還流した。 その後、産油国の国内開発投資で先進国製品を輸入増で、先進国の生産増にはねかえった。
(後智恵) 渡部さんは先進国に資金還流しても成長速度が遅い先進国は世界経済を牽引できないと(99年当時)悲観的でしたが、今、振り返ってみれば、アジア諸国に関しても、先進国への資金還流が生じ、先進国の低インフレ & 低金利を生じさせ、これが先進国のリスク資産価格の上昇を生じ、これにより先進国の消費を活発化させることで、世界経済が成長した。


バブルとクラッシュの繰り返し
90年代後半以降、欧州・アジアの資金が米国に集まり、資金仲介が証券市場等の直接金融市場で行われる証券市場では様々なリスク裁定業者が資金を仲介していく。 問題は

  • リスクを正確に測定する手段がない
  • リスクを取らないと収益を生まない
  • 全員がいっせいにリスクポジションを解消できない

ついつい過剰にリスクテイクして、パニックが起きると、大きな損失がでて裁定業者が破綻・萎縮し、裁定機能が麻痺する。 その結果、流動性が欠如する
インフレ率が低下しているときには、金融が緩和し*1、バブルが発生しやすい。 バブルの後には必ずクラッシュが起きる。


日本経済の長期的展望に打撃を与えた要因

日本国民の経済成長に関する期待感を減衰させた。
期待の低下 → 資産価格の減少 → バランスシートの悪化 → デフレ
銀行資産(債権)の市場価格が減価しているが銀行負債(預金)は減価しない → 銀行経営に負担がかかる。

輸出超過や経常収支大幅黒字は、日本の高い国民貯蓄率・過剰著貯蓄の反映。 過剰貯蓄は為替のオーバーシュートの思惑を起しやすい。
50年代、60年代 高い貯蓄率を企業部門の投資で吸収 → 高度成長。
70年代、80年代 高い貯蓄率はそのまま。高度成長が終わり企業部門の投資の減少。 過剰貯蓄の吸収方法は

80年代前半までは輸出、80年代後半から90年ごろはバブル的民需、その後は公共投資
90年代後半の日本では、あらゆる政策が試みられたが、既に特効薬を使い尽くした感がある。 これ以上の円安が出来ないとすれば、

  • 都市再開発型の公共投資 → 都市のほうが高生産性だし、家が広くなれば出生率が上がり消費が増えるし、その後労働力も増える
  • 日本の賃金水準を引き下げる → 比較劣位産業の高賃金を諸外国なみの水準に引き下げる

たわごと 結局、賃金水準を引き下げるという方向に進み、期待の低下で消費が振るわず投資も進まない、という痛い経路を進んだように思えます。

貯蓄はそれが投資として有効に使われれば経済成長の原動力になる。 しかし、有効に活用する道が閉ざされれば、成長率はゼロになる。


(いったん)ゼロ成長そのものに甘んじるという、「自然体での対応」策

  1. 少子高齢化為替相場の変動を与件として受け入れ、高貯蓄率の低下を待ち、賃金の引き下げに耐え、経済成長は当面二の次として構造改革と経済の効率化を目指す
  2. 日本経済の非効率な部分、銀行の貸し渋り、少ない個人投資家流動性選考、税金を納めない赤字法人や自営業者、ムダな道路整備等、を是正する。 経済効率が高まれば自然に経済成長にもつながる
  3. 為替は変動相場制を守ったほうが良い
  4. 日本の諸制度はすでに弱者保護や連帯感維持を可能にしており、日本企業は十分に共同組合的である。 利益追求と株主に対する説明責任を強めるべき。

これが成功する条件は、資産価格下落に対して預金や年金の減額を受け入れること。 さもないと、経済成長が二の次になるから、若い世代にしわ寄せが行き、少子化が続き、労働力急減の危機が早晩訪れる。
たわごと やっぱりここが×で、うまくいっていない。
結局、減額を求めるよりも社会インフラ再構築のための経済的犠牲を求めるほうが政治的合意を得やすいし、そのほうが経済成長を高め財政再建を図る上でプラス。
たわごと 婉曲な表現すぎて難解だが、ある程度のインフレ率を通じて価格のリバランスを図るということか。

*1:実質金利の低下、金利変動リスク等の低下