「ものつくり敗戦」 by 木村英紀

この刺激的なタイトルと刺激的な表紙に、製造業でエンジニアをやっているにもかかわらず「ものつくり」という言葉に胡散臭さを感じる私は思わず引き寄せられた。 実におもしろい本だった。
以下は私の読書メモ。

ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ)

ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ)


自然を対象とする科学、人工物を対象とする科学
物理や化学のように自然を対象とする科学の他に、技術が生み出す人工物の「不確かさ」「複雑さ」「情報」を取り扱う科学がある。 これらの科学は自然科学同様おおきな変革を技術にもたらした。
レーダーや半導体は自然科学の領域の発明。 制御工学、オペレーションズ・リサーチ、ネットワーク、計算、通信は後者の領域の発明。

日本では、後者(人工物を対象とする科学)が弱い。 後者では論理・理論・数学をベースにするが、日本は理論・数学を軽視する*1

人工物を対象とする科学はシステムを対象とし、システムの構成要素は見えるが構成要素間の結びつきは見えないことが多い。 システムの難しさの本質は構成要素間の結合にあり、見えない部分を扱うゆえ論理が重要。


日本の技術は労働集約的、西洋の技術は資本集約的。 東アジアには労働力が豊富だったから。

  • 西洋 : 道具を産業革命を通じて機械に進化させた。労働不足ぎみなので資本投入で生産を増やすことを考える。
  • 日本 : 西洋から導入した機械を、職人が技を発揮する道具へと進化させた。 モノに人が従属する傾向。 目に見えるものを評価する傾向。 目に見えないシステム関係の科学を軽視する傾向。

労働集約技術が日本の原動力だった。

労働人口減とか円高による製造現場の海外移転え人間がいなくなりつつあるにもかかわらず、労働集約型技術の考え方や規範を引きずっている。

労働集約文化 → 理論・数学・普遍性を嫌ったり軽視する傾向 → システム領域が弱い。

アメリカは人工物の科学の領域で圧倒的に強く、アジア諸国が日本を追い上げつつあり、日本は苦しい。 日本は高度なシステムの領域でビジネスをせねばならないが、苦手。


日本の人口密度の高さから労働集約技術が発展し、その文化ゆえに理論・システム・普遍性追求を苦手とするという説は興味深い。

また、読んでいてこの本を思い出した。 変わっていないなあ、と。

*1:自然科学をベースとする技術では理論が弱くても長年の修行で何とかなることも多い。