追記 黙って種まき 未来に大輪

6/7のblogにリスクテイカーさんからコメントを頂きました。 いい機会と思い、もう少し詳しく今の考えを書きます。


豊かさがモノやサービスをたくさん生産し消費できることと考えるならば、ひとりあたり単位時間あたりの生産量(生産性)が豊かさの重要な要素といえましょう。 生産性を決める要素は、生産のための設備や道具であり、生産のための技術でしょう。
今の日本の豊かさを支えているのは、日本にある道路・鉄道・電気・ガス・水道・電話・ビル・工場・機械・設備・etc.であり、それらをどう使ってどう生産するかという人々の頭の中や文化に組み込まれた「技術」といえましょう。 そして、(必要不可欠な水準を上回る)高度なモノやサービスを生産しているといえましょう。


ところが、困ったことに、
(1) 国内における、消費しようとか・更なる生産のために投資をしよう、という意欲が今ひとつ振るわず(家計や企業が貯蓄あるいは借金返済に励み)、生産能力が需要を上回ってしまう状況(不況)にはまっている。
(2) 東アジア諸国が、低人件費と通貨安を追風に、(日本が得意としていた)製造業を発展させ、グローバルにみて製造業の供給が増加することで製造業が生み出すモノの価格(価値)が低下してきた。


こういった状況で、製造業は普及品の生産を避け、高付加価値のハイレベルなモノを(直接・間接に)米国等に輸出して、生産能力を活用していた。 ところが金融ショックでそれまで世界の需要を一手に引き受けていた米国が不景気になると、「高付加価値」なモノは無くても当面困らないから需要が大きく減ってしまう。 かといって、新興国に輸出するには「高付加価値」(しばしば高コスト)ゆえ価格が高すぎ、新興国ボリュームゾーンに合うような商品は持っていないし、日本国内のコストが高くて低価格なボリュームゾーンに参入しにくいしそこには手ごわい東アジア諸国企業が既にいる。

アジア諸国の企業に追われて先進国の高付加価値市場に活路を求めたものの、経済危機で市場が縮小してしまった。

高付加価値市場が消え、かといって、ふつうの普及品は東アジア企業との競争激化で価値が減り、成長中の新興国ボリュームゾーンには高コスト(円高もその一因)で参入できない。 いったいどうしろって言うんだ!、製造業に従事する私はこう思ってしまいます。


あちこちの工場で操業が縮小されたり閉鎖になったりしています。 がらんどうになった工場を見るのは悲しい。 そこにはかつて人が働いていたハズで、需要不足で不要にされてしまった。 日本の製造業の強さは工場の現場の人々の頑張りだったと思います。 日々改善を重ね、高付加価値製造と生産性を支えていた。 前回、今回の不況でこの部分が大きくダメージを受けたのではないか。 あれだけ非難されると日本の製造業はもう国内で雇用を増やさないかもしれない。 日本企業は海外生産をすればOKかも知れないが、日本に居住する人々にとって本来生産性の高い仕事が消えることはつらい。


国内、国外での新しい需要、元気な東アジア企業との競争にまきこまれて価値が直ぐに下落しないような需要を捉えたい、創り出したいもの...。


今の日本は70年代・80年代の米国と似ているかもしれません。 当時、米国の製造業を追い上げていたのは日本の製造業だった。 振り返ってみれば、米国経済は、東アジア諸国が生産できるモノの生産をやめ、才能とカネを前人未到のフロンティア、特に、形の無いモノやサービスの開発に集中させたといえるのではないか。 才能ある人を集め、アイデアを練り、カネを集めて試してみる。 失敗も多いが、うまくいけば新たなカネになるモノやサービスを生産できる。 その結果、豊かさを生み出す。


一方、日本の製造業は、持続的・連続的な改善が得意。 これによってハイレベルな商品を作れるようになったと思う。 ただ、問題は

  • 贅沢な高付加価値商品は顧客の財布が寂しくなると売れない、
  • 改善を続けた結果、顧客の要求水準を超越してしまうと付加価値をつけづらくなる

ということではないだろうか。 特に、後者の問題に直面すると日本の製造業の必勝パターンが通用しなくなるゆえ深刻だと思う。


得意の改善だけではたぶんダメだろう。 何かと問題が山積していてドロドロしたところをすり合わせでやらざるを得ないような領域は日本の製造業は強いが、改善すべき問題がなくなってしまうと迷走してしまう。

だからこそ、日本においても「改善」のほかに「フロンティアの開拓」で新たな領域を創造することが(もうずいぶん以前から)求められているハズだが、なぜか苦手。

この両者は求められる資質が違うから同じ組織でやるのは難しい。 前者はしばしばボラティリティを嫌い、後者はボラティリティを愛さなきゃいけない。 だから「黙って種まき、未来に大輪」には共感するが、それだけでは辛いんじゃないか?、こう私は感じるのです。

ハイ・ボラティリティなチャレンジに資金を集めるためにはハイリターンという出口がなきゃいけない。 こういう仕組みがないとフロンティア開拓はなかなか進まないのではないか。 才能とリスクマネーと市場、難しいなあ。 仕組みを持っている国・地域、うらやましいなあ。


改善はすごく大切だが、それだけで、生産性のあるていど以上の持続的向上を維持できるかなあ。 私は「フロンティア」におおいに期待するし、改善の力にも期待するが、そうじゃないシナリオもありうるなあと思うのです。