やっぱりそうだったのか 「おもてなしの経営学」 by 中島聡

"The Wold is Flat"となった時代を生きるための勉強は続く。
MicrosoftWindowsやInternet Explolerを設計していた中島さんの本を読むと、私が日本にいて薄々感じていたことを米国に住む中島さんがはっきりと書き、「やっぱりそうだったのか」と感じたことがいろいろある。


おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)

おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)


本書のメインテーマはここだと思うポイントでもあるが

米国のマイクロソフト社で働くようになって最も強く感じたのは、日本にごく少数しかいない「ビジネスのことがわかる技術者」「ITのことがわかる経営者」がたくさんいることだ。「アップル社と戦うためにはこんな商品戦略が必要」とビジネス戦略の話をしていた連中が、次の日には「次世代OSのアーキテクチャはこうあるべき」と、思いっきり技術的に突っ込んだ話をしているのだ。
(中略)
IT企業で出世したり、自分でベンチャー企業を起すためにはビジネスの知識も不可欠であることを彼らは強く意識しているのだ。エンジニアの学位を取得後、いったんIT企業に就職して経験を積んでから、再び学校に戻ってMBAを取得する −−− この一連の流れが米国における典型的なエリートコースというのも、まったく同じ理由からだ。

説明しにくいのですが、単なる管理職と米国のスーツは大きく違うんですよね。米国のスーツはエンジニアの学位を持ちながらMBAなどを取得し、ソフトウェアでも何でも「持っているものからいかに価値を生み出すか」に長けている人といったイメージでしょうか。

とある。 日本にいて薄々感じていたが、やっぱりそうだったんだ。 技術とビジネスの両方をわかる人達がいて、その人達が技術がお金を生み出すMoney Machineをきちんと設計している。
(余談 - はじめ)
トム・クルーズ主演の「法律事務所」という映画で、ハーバードのロースクールを2番目の成績で卒業し、メジャーな法律事務所(複数)から初任給のオファーを受け苦学を支えた奥さんと一緒に喜ぶシーンがあったが、勉強結果がストレートに報酬に反映すれば日本の大学生だって猛烈に勉強するに違いない。でも、これは労働市場がないと成り立たないし、なにかと支出がかさむオトナが自腹で機会費用+学費を投じて大学院で勉強するためにはそれに見合う収入のポジションが市場になければいけない。金融関係は外資投資銀行があるが、製造業には見当たらないなあ。
(余談 - おわり)
更に、

日本の知識労働者の市場価値がそういった国々*1に抜かれてしまうのも時間の問題と思えてしまう。中国やインドへのアウトソーシングの流れがブルーカラーだけに留まらずホワイトカラーにまで来たときに、日本を先進国の地位に保つのは教育しかないと思うのだた、どうなのだろうか。

米国中心のグローバル・エコノミーに飲み込まれつつある日本。「僕はエンジニアだからマーケティングはわからない」「私は商学部卒だからITのことはエンジニアに任せる」などと甘いことを言っていては、「技術とビジネスの両刀使い」がたくさんいる米国の企業と同じ土俵で戦うことはできない。

とのこと。まったく同感なのだが、私が勤務する会社では中島さんのような発想は全くの少数派で、偉い人たちはサッパリなのだ。 そして、エンジニアサイドは

「インフラをより良くすることが自分たちの仕事」と使命感を持って熱心に仕事をしていた

ので、スペックはドンドン良くなるが顧客の効用がもう飽和している領域なので結局買い叩かれるハメになる。そして、体力を消耗してから気づくのだが、舵を切ろうとすると、割を食う部門が総反対でそのままズルズルと...。日本の会社は株主のものではなく従業員のものだったりするから、社長は人畜無害で担がれやすいことが期待されるから、わかっていても舵をきれない、きろうとすると孤立するのかもなあ。
中島さんは次のように指摘する。

「終身雇用制が崩壊しつつある」と言われながらも、まだまだ高度経済成長期の週刊が強く残っている日本においては、いったん社会人になった人がキャリアアップのために学校に戻って勉強し直すという話は非常にまれである。それに加えて、雇用の際に「30歳ぐらいまで」などの年齢制限を食われることが許されている日本では(米国では違法)、ある程度の年齢を超えてからの再就職は難しく、学校に戻って勉強し直すことがキャリアアップに繋がるとはなかなか考えにくい。まずは人材の流動性をなんとかして良くしない限り、政府や大学がいくら生涯教育を訴えたところで実現するとは思えない。

労働市場」すなわち「人材の流動性」が無いことが、勉強するインセンティブが無いから勉強しない → 知識不足・訓練不足が生産性向上を妨げる と作用するし、外部に出ることがハイリスクなので社内で自分の立場を守ることが個人としての合理となるがマクロにみると合成の誤謬となる。

私は終身雇用という制度は経済的背景のほかに文化的背景もあって生まれた制度で、文化的背景は江戸時代の徳川幕藩体制にあるのではないかなあ(幕府が政府で藩が企業)と思っていたが、中島さんも同じようなことを言う。

そこは根本的な問題だと思うんです。言わば、徳川家康が設計した日本の魂というのかな。つまり家康は二度と織田信長が出ないように、それを目的に国家を作ったわけでしょう。

徳川家康だって全くのゼロベースでその身分制度をつくったわけではないハズで、たぶん、その当時の日本の文化(たぶん当時の農業の文化)を土台に利用したのではないか*2。 こう考えると、日本経済のボトルネックとなっている終身雇用は文化的に根が深く、手ごわいのではないか。

ただ一方、日本が大いに経済成長した時期は、戦後の60年代・70年代、明治〜第1次大戦、それからたぶん戦国時代(経済が豊かになったからこそ織田信長は農民ではなくフルタイムの兵士を集めることが出来たのだと思う)だから、いずれもそれ以前の体制や権威が崩れ縛りが緩くなり自由に人々のエネルギーが解放され成長するのではないか。

ならば、今、縛りがゆるくなるきっかけは?

  • 政府が財政破綻、諸々の体制・権威を吹き飛ばすことになろうが、行き先が予想不可能で危険すぎる
  • 自分たちで経済的に無意味な縛りを無くすよう法制度をさっさと変えればいい

私としては後者がいい。

*1:中国やインド

*2:信長や秀吉は商業資本にのっかっていて商業(市場)の文化だったのではないか。商家は主の才覚次第で繁栄・衰退するが、農業はだれがやっても同じ農地なら大きな差はつかない。徳川家のためには変化しないほうが都合よかったから、徳川家が頂点で士農工商。大竹眞一氏によれば平家(商業)と源氏(農業)だそうだ。