「なぜグローバリゼーションで豊になれないのか」 by 北野一 Part 2

日本は豊かになった。 ただ、個々の日本人は今ひとつ豊かさを実感できないでいる。 そもそも近代化を成し遂げた国とは、そういうものかもしれないが、われわれは豊かさを実感できる社会を目指して愚直に構造改革に取り組んできたはずだ。 しかし、「豊かさを実感できない」のはなぜか? 北野さんの考えは、構造改革に取り組んでいるうちに別の新たな問題がわれわれを追い込んでいた」であり、別の新たな問題とは「グローバリゼーションに伴う慢性的金融引き締め」である。



グローバリゼーションに伴う慢性的金融引き締めとは何か?

グローバリゼーションに伴い株主の期待収益率が、それぞれの国の成長率やインフレ率に見合ったリターンではなく、地球でひとつだけのリターンが要求されるようになった。 グローバル化した資本市場では、株式だけではなく、債権(金利)や商品など、あらゆる資産に対して一物一価が成立するようになった。 短期金利中央銀行がコントロールできるが、インフレ率調整後の実質長期金利はグローバル資本市場で収斂しつつある。


経済の実力とは潜在成長率であり、潜在成長率 = 労働人口の伸び率 + 生産性上昇率 と考えてよい。 日本の場合、労働人口は減りつつあり、すでに先進国なので長期の生産性上昇は3%が上限。 一方、米国は労働人口はまだ減少していないから、米国経済は潜在的に日本経済よりも元気。 したがって、米国では資金需要も強い。 グローバルに同一の資本コストが適用されると、日本では引き締め的に感じられても米国では緩和的である。

  • GDP = 1年間に国内で生み出した付加価値の合計 = 労働への配分 + 債権者への配分 + 政府や地域社会への配分 + 株主への配分
  • 株価 = EPS×PER

PERが一定とすると、株式投資の収益率が日米で同等となることが投資家に期待されるならば、EPS(一株あたりの収益率)が米株同様に伸びること期待されることになる。
GDPが米国よりも低成長にもかかわらず、米国同等の株主へのリターンが期待されると、労働や債権者(金利)や仕入先(価格)への配分が割りを食うことになる。 教科書的にはステークホールダーに分配した後に残った金が株主の取り分だが、実際にはグローバリゼーションの結果、経営者が株主(外国人株主)への配分を意識することで純利益(株主の取り分)が先に決まることで賃金と金利と物価に下落圧力(金融引き締めと同じ効果)がかかるのではないか、と北野さんは言う。


日銀は日本の潜在成長率に見合った金利の実現を目指すが、人口減少の日本の潜在成長率は世界の成長率よりも低いから、日銀が目指す金利はグローバルな資本市場が決める金利よりも低くなるハズ。 しかしグローバリゼーションの結果、日本にとっては割高な引き締め気味の実質長期金利となっている*1

1990年ごろから日米のインフレ率の差はほぼ3%を保っている。 なぜ? ひとつの説は、為替レートがコンスタントに円高になることを人々が予想 → 米国の期待インフレ率との関係から日本の期待インフレ率が形成され → 実際のインフレ率に反映される、という「円高シンドローム説」。 それを打ち破ってデフレから脱却すべく金融緩和を意図して03年04年の大量介入が行われたが日本のインフレ期待は発生せず、日米の(名目)長期金利差は約3%を保ったままである。(日本にインフレ期待が生じたならば長期金利差は縮小するハズ)。 (名目)長期金利差が3%でインフレ率の差が3%ということは、(グローバリゼーション下では)日米の実質金利が等しくなっていることを意味する。


株主が期待(要求)するリターンも貸し手が要求する実質金利もグローバルに収斂するならば、経済成長率が低い日本には(ゼロ金利でも)慢性引締状態で、成長率が高い米国には(FRBがFFレートを引き上げても)慢性緩和状態である。


並の論者はここで反グローバリゼーションを叫んで終わりかもしれないが、北野さんは更に進む。


株主の期待リターンや債権者が要求する金利は企業側から見ると資本コストである。 WACC(加重平均資本コスト率)は

  • WACC = Re ・ E / (E + D) + (1 - t) ・Rd ・D / (E + D)
  • Re = Rf + β・(株式市場の平均リターン - Rf)

ここで、Re = 株主資本コスト率 = 株主が期待するリターン、Rd = 有利子負債の金利、t = 法人税率, E = 株主資本総額、D = 有利子負債総額、Rf = リスクフリーレート = 長期国債金利
コーポレートファイナンスの教科書では、米国国債金利とNY市場の平均リターン、日本国債金利東京市場の平均リターンを使うと書いてあるが、グローバリゼーションの結果、グローバル資本市場の長期金利と期待リターンが意識されるようになり、日本の事情が反映されなくなった。

経営者が株主の意向に支配される状況下では、WACCを減らせば、労働側の取り分や債権者の取り分(金利)を増やすことができ、株価も上昇する。

株主の期待リターンと長期実質金利はグローバル資本市場に縛られるが、5年未満の短期負債の金利は日銀の影響下にあるため、短期負債を増やすことで企業の資本コストを減らすことができる。

WACCを減らすためには、積極的な配当や自社株買いで株主資本を減らし負債で資金調達すればいい。 負債の比率を増やせばROEは増大するから株主にとって悪いことではない。


しかし、日本企業は過去30年間にわたり自己資本比率を引き上げてきた。株主が期待するリターンは負債の金利より高いにも関わらず、企業が高コストなEquityの比率を引き上げたのは何故か?、事業や経済が成熟・安定するに従い事業のリターンは低下するから借り入れでレバレッジをかけてROEを引き上げることができるがなぜそうしないのか?北野さんはロジカルに分析をすすめる。


日本企業の典型的な資金調達は次の順序で行われる。

  1. 内部留保 (純利益を事業に再投資)
  2. 債権発行や銀行借入等の負債調達
  3. 増資による資金調達

内部留保は株主に帰属する資金だから1と3は同じ資本コストのハズだが、1が好まれるということは、日本企業は1のほうが低コストと考えていることを示唆する。 グローバルな資本市場では内部留保も増資も一物一価だが、日本企業は二物二価と思っていた。

また、「三つの過剰」(過剰設備、過剰雇用、過剰債務)と盛んに言われることで、負債の利用がためらわれた、と北野さんは言う。 過去を丹念に調べる北野さんは、過剰な債務とペアになる資産は不動産だったハズだが政治的に不動産を正面に据えにくかったため(不動産とペアになっている)債務を前面に出したのではないかとのこと。 これにより、人々は「債務 = 悪」と思い込んでしまった*2。 この結果、日銀が金利をほぼゼロにしたにもかかわらず、企業部門は負債の縮小を続けたためマネーサプライは増加せず、結果として金融緩和効果は限定的で、政府が代わりに負債を積み上げてしまった。


経済は合理的に動くものだが、人々の慣習や思い込みでつまみAとつまみBとをつなぐ歯車がちゃんと回転しないときもある。 資本コストに関する認識もそのひとつだったと言えましょう。 これを解き明かす北野さんのアプローチ(方法論)はたいへん参考になります!。 この点(JPモルガン証券のチーフストラテジストの方法論を垣間見ることができるところ)が本書の魅力!。


北野さんは山本七平氏を引用する。 日本では人々の行動は合理性よりも空気に支配されることがあり、雰囲気が変化すると行動が急に変わる。 何かがきっかけになって負債調達が「空気」になっても不思議ではない。


さて、日本企業が資本コストを減らすために負債を増やし始めたらどうなるだろうか? おカネの借り手がやっと現れることで、マネーサプライがやっと増加し、日銀の金融緩和の効果が出てくるのではないだろうか?。 デフレ期待とか円高期待ではまっていた日本経済の均衡点が、インフレ的な場所に移動するのかなあ。

*1:逆に米国では実質長期金利は緩和気味

*2:他に、銀行の貸し渋りによる銀行への不信感があることも北野さんは指摘。